小笠原家の家紋に秘密 小笠原家は「三階菱」と呼ばれる家紋を使用しました。この家紋は次のような伝説とともに語られています。後醍醐天皇の時代に、小笠原貞宗が弓馬の師範をしたところ、天皇が感心して「王」の字を家紋にするよう命令したと言います。 しかしはばかりがあったため、ひそかに「王」の字をかたどって、下方に広がる三階菱を家紋にしたというものです。(よく見ると王の形に似ています) 「小笠原家弓馬故実書公開・新収蔵展」展示資料から 松本の地名の由来 松本地方はもともと、府中・深志などと呼ばれていました。天正十年(1582)小笠原貞慶がこの地に入り、深志城を松本城と名付けたことが松本の始まりとされます。 貞慶が松本と名付けた理由としては①父祖の領地を回復する本懐を待つこと三十余年で遂げたため ②小笠原家の庶流・伊那の松尾家に対して、深志の小笠原家が本家であるため、との説がありますが、いずれも定かではありません。
top of page
bottom of page