耳寄りなお話(Tantalizing Tidbit) 24 「Lady Samurai」

 前々号で戦国時代の女性たちの「肝の座り様」について少々触れましたが、そのような女性を「Lady Samurai」として捉え、アメリカのハーバード大学で日本史講義をしていた北川智子さんという女性がいます。(現在はカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員)。北川さんは3年間のハーバード大学教員時代に「日本史講義」を受け持ち、ある意味ニッチな存在である日本史にいかにしたら興味を持ってもらえるかを考え、時には着物姿で教壇に立つなど、独特な講義スタイルと内容で3年間連続して「most favorite」教師に選ばれた女性です。

 北川さんが教鞭をとる前までのハーバード大学での日本史講座のイメージは「サムライと武士道」で、失われたものであるが故の特殊な魅力としてノスタルジアに包まれていたそうです。海外で日本史を語る際にはサムライが日本の歴史の軸をなし、「サムライ=ジャパン」という歴史の物語が常識となっていたそうです。

「サムライだらけだった日本史に女性を組み入れる作業自体が不可能」と考えられてきたのはおかしい、と感じた北川さんは、サムライと共に生きた女性のことに目を向けた研究をするため、大学院で現代の世界基準にかなった日本史を書こうという目標を据えて、サムライが中心で女性がその陰という状況こそが見直されるべきと研究を始めたのです。

 海外で教えられる日本史の最初の区切りは平家が源氏に滅ぼされた壇ノ浦の合戦のあたりだそうです。この頃から上流階級の貴族や彼らの護衛をするサムライが貴族から離れて武士団という新しい社会集団を作りますが、同時に貴族の女性もまた武士と共に宮廷を離脱し、ここから武士の上流階級の女性の集団が発生していきます。この貴族出身の「Lady」の集団をLady Samuraiだと考えたのです。

そのLady Samuraiはサムライと共に戦場に出向いたにもかかわらず、「殺されない性」として扱われてきたと言います。その例として那須与一のエピソードを挙げ、小舟に乗って手を振ってきたのは女性で、男性であれば敵のサムライとして扇を射る前に矢を放たれていたはずが、「女性である」と言う理由で殺される対象にはならなかった、と言います。また、壇ノ浦での例を挙げ、平家の女性たちは敵の手に落ちるよりは、と海へ身を投じます。自害するにしても切腹したり、戦って討ち死することはLady Samuraiの美とみなされず、「身を隠す」という手段で、女性ならではのサムライらしい潔さを残して死んでいったのだと言及しています。

*First LadyでおなじみのLadyですが、平安時代の貴族の女性作家で「枕の草紙」を書いた清少納言や、「源氏物語」を書いたとされる紫式部など、京都の上流階級に属する人名を英語に訳す時は通常「Lady Murasaki」というように「Lady」をつける形をとるそうです。

(戦国時代のLady Samuraiについては次号で)「肝の座り様」について少々触れましたが、そのような女性を「Lady Samurai」として捉え、アメリカのハーバード大学で日本史講義をしていた北川智子さんという女性がいます。(現在はカリフォルニア大学バークレー校の客員研究員)。北川さんは3年間のハーバード大学教員時代に「日本史講義」を受け持ち、ある意味ニッチな存在である日本史にいかにしたら興味を持ってもらえるかを考え、時には着物姿で教壇に立つなど、独特な講義スタイルと内容で3年間連続して「most favorite」教師に選ばれた女性です。

 北川さんが教鞭をとる前までのハーバード大学での日本史講座のイメージは「サムライと武士道」で、失われたものであるが故の特殊な魅力としてノスタルジアに包まれていたそうです。海外で日本史を語る際にはサムライが日本の歴史の軸をなし、「サムライ=ジャパン」という歴史の物語が常識となっていたそうです。

 「サムライだらけだった日本史に女性を組み入れる作業自体が不可能」と考えられてきたのはおかしい、と感じた北川さんは、サムライと共に生きた女性のことに目を向けた研究をするため、大学院で現代の世界基準にかなった日本史を書こうという目標を据えて、サムライが中心で女性がその陰という状況こそが見直されるべきと研究を始めたのです。

 海外で教えられる日本史の最初の区切りは平家が源氏に滅ぼされた壇ノ浦の合戦のあたりだそうです。この頃から上流階級の貴族や彼らの護衛をするサムライが貴族から離れて武士団という新しい社会集団を作りますが、同時に貴族の女性もまた武士と共に宮廷を離脱し、ここから武士の上流階級の女性の集団が発生していきます。この貴族出身の「Lady」の集団をLady Samuraiだと考えたのです。

 そのLady Samuraiはサムライと共に戦場に出向いたにもかかわらず、「殺されない性」として扱われてきたと言います。その例として那須与一のエピソードを挙げ、小舟に乗って手を振ってきたのは女性で、男性であれば敵のサムライとして扇を射る前に矢を放たれていたはずが、「女性である」と言う理由で殺される対象にはならなかった、と言います。また、壇ノ浦での例を挙げ、平家の女性たちは敵の手に落ちるよりは、と海へ身を投じます。自害するにしても切腹したり、戦って討ち死することはLady Samuraiの美とみなされず、「身を隠す」という手段で、女性ならではのサムライらしい潔さを残して死んでいったのだと言及しています。

 *First LadyでおなじみのLadyですが、平安時代の貴族の女性作家で「枕の草子」を書いた清少納言や、「源氏物語」を書いたとされる紫式部など、京都の上流階級に属する人名を英語に訳す時は通常「Lady Murasaki」というように「Lady」をつける形をとるそうです。(戦国時代のLady Samuraiは次号で)