耳寄りなお話(Tantalizing Tidbit) 15 「天主と天守」

天主と天守

さて、天守に移動しましょう。天守の役割はいろいろあります。城内、城外を俯瞰し、戦いのときには司令塔となって兵を動かす。また籠城の時は最後までよりどころとなって守り抜く場所。これは⑫で書いた「最後の砦として城を維持する意味のkeepが使われるようになった」という説明に相応しますね。

しかし「天主」という漢字が使われている城もありました。そう、信長の安土城だけはなぜか「天主」を使用しているのです。何故でしょうか? 諸説あるようです。

1.信長は宣教師などを通して当時日本で天主教会と称されていたキリスト教に関心を持つようになりました。キリスト教(カトリック)では、キリストの神でもあるゼウスを天主と呼んでいました。「自分も神になりたい」、という思いがあった信長は「天主」と名づけたのではないか、というキリスト教由来説。

しかし、静岡大学名誉教授の小和田哲男氏によると、「天主と名づけたのは策彦周良(さくげんしゅうりょう)という京都の禅宗の天龍寺の僧侶だとしています。

2.信長は例外的に安土城の天主に住んでいたと言われており(通常の城主は御殿に住んでいた)、城の主の住まいであったから天主としたという説。

3.信長の家臣の太田牛一が「信長公記」に「天主」を用いて書いていたから、という説も。(小和田説と異なります)

 松本城研究専門員の先生がかつて「信長が天主という漢字を使用したので他の大名は信長に敬意を表して天主を使用せず天守とした」とおっしゃっていたのを記憶しています。

信長は自分の存在の偉大さを誇示するために最上階は金色、その下階は朱色の八角堂、内部は黒塗りで豪華な諸壁画で飾るという爛華な安土城を建て、それを「天主堂」と重ね合わせて天主としたのでしょうか?

 建築家の藤森照信氏は「信長はバチカンから派遣された宣教師たちからサンピエトロ大聖堂の話を聞くか絵で見て、サンピエトロのような城を建てたいと思ったのかもしれない」と述べています。実は10年ほど前551段の階段を上ってこの大聖堂のクーポラへ上ったことがあるのですが、眺めは抜群でした。

 ところで「天守」ですが、具体的にどこの城で使われ始めたのかはこれまでいろいろ研究がなされてきたにもかかわらずはっきりしていないそうです。岐阜城の4階御殿、足利義明のために建立した二条城、明智光秀の坂本城に天守があったのは確かだろう言われているそうですが、これらは全て安土城以前の建立なのです。これら諸々から判断するに、信長はやはりサンピエトロ大聖堂をモデルに安土城を建設したのではないかと思います。

 安土城は鯱を初めて取り付けた城としても知られていますね。それまでは東大寺に見られるように寺院では火除けとして瓦葺屋根の大棟の両端に瓦製の鴟尾(しび)が置かれていました。尾を上向きに天を目指すようにせり出し、威勢のいい鯱を豪華な安土城の飾りとして置いたことからも信長の安土城にかける情熱のほどがわかるような気がします。