1.なぜ二十六夜神なのか
関東での二十六夜神が松本に 二十六夜神のにぎわい 月の中に三尊仏の姿が現れるといわれた7月26日の月の出(二十六夜)には、眺めのよい高台 や海辺に人々が集まり、人出をあてこんだ屋台店がたくさん出されている。 三尊仏を拝むことができ ると、この年は無病息災であるという風習があり、大勢の人出があった。 関東の月待ち信仰を松本に持ち込んだのは、戸田家であり、古くから二十六夜神を祀って、藩士 に酒肴をたまわる行事が伝わっていたという。 国宝松本城クイズから
以上のように戸田家が関東から、お国替えで松本に入ったとき、お家の繁栄を願い関東にいた頃から行っていた 風習を松本城に定着させたのでしょう。
以下 こちらのサイトを参考にさせていただきました。
1. 元和四年(1618年)正月26日(旧暦)の月は?
i. 西暦換算 旧暦元和四年(1618年)正月二十六日を西暦に換算すると 1618年2月21日

ii. 1618年2月の月齢カレンダーを確認

1618年2月21日(元和四年正月二十六日)は月齢 25.6 1618年2月22日(元和四年正月二十七日)は月齢 26.6 これらは正午の値なのでこれを案分すると正確には月齢26は 1618年2月22日(元和四年正月二十七日)午前0時12分である。 (こんな突っ込みを入れても詮無い話 だが )
誤差の範囲だと思うので伝説の通り、元和四年正月二十六日が二十六夜とすると
iii. 月出没時刻・方位

下記の条件を入れ正確に計算し直しました。 2010/3/26)
条件
i. 元和四年正月二十六日(1618/2/21)
ii. 東経 137.97 北緯 36.24 (松本城の位置)
iii. 標高 592m (本丸庭園)
iv. 仰角 5.5°
結果
i. 月出 4:22分 (月が完全に山の稜線から出た状態)
ii. 月没 12:37
iii. 方位 129 南東(北を 0度として東回りの角度です)
二十六夜の月は「有明月(ありあけづき)」といって夜明けの空(有明の空)に昇る月。 古くは二十六夜講 などの風習があった。 月出では下の図のような形で上ってくる。 この上に三尊仏が見えれば無病息災で す。


ということはゲストに説明するとき、今まで「midnight」なんて言ったこともありますが、間違ってますね
時刻的に...いや、それよりも、「月待ち26夜」がもとになっているのですから、26夜神様は月の出の時に現れな ければいけないんでしょうね。 やはり月が昇ったときと正確に言うべきですね。 テキストにも「When the moon rose, a noble lady~」と書いてありますし。
◆ 教えてください BAMBI 2007/7/1
二十六夜神様のところからぶら下がっている菱形の白い紙、なぜ菱形なのか?なぜ白いのか?よく質問され るのですがいつも答えられません。
この質問に関して「御幣」とか「大麻(おうぬき)」などと複数の返答がありまたが、最終的なものだけ掲載します。 管理人
◆ Re:教えてください 北上 2007/7/10
研究専門員に確かめたところ、あれは「注連飾り」であって「御幣」でも「大麻(おうぬき)」でもないとのこと です。 (中略) 以下しめ縄についての説明は ウィキペディアほかからの引用です。
注連縄(しめなわ) 神道における神祭具で、宗教上の意味を持つ紙垂(しで)(質問にある白い紙)をつけた縄をさす。 標縄・七五三縄とも表記する。 現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域と現世を隔てる結界の役割を意味する。 また神社の周 り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓う結界の意味もある。 御霊代(み たましろ)・依り代(よりしろ)として神がここに宿っているという印ともされる。 古神道においては、 神域はすなわち常世(とこよ)であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしよ)であり、注連縄 はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印ともなっている。 御旅所にも張られ、海の岩礁の内、奇岩とされるものなどにも注連縄が張られ、よく知られるもの として夫婦岩がある。 また日本の正月、家々の門、玄関、出入り口などに飾る注連飾りも、この注 連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた 特別な力士だけが、締めることを許される横綱も注連縄である。 現在でも雷(稲妻)が落ちた場所 で特に水田などでは青竹で囲い、注連縄をはって、五穀豊穣を願う慣わしが各地で行われてい る。 ウィキペディアより 紙垂 幣帛の一種で、榊の枝や串などに垂らす紙片や布(とくに木綿{ユウ})など。 また注連縄につけたものもこう呼ぶ。 単に垂、また四手とも表記する。 古くは木綿を用いたが、現在は紙片が一般的である。 紙片の断ち型と折り方には、二垂、四垂、八垂などいくつかの形式、さらに流派がある。 代表的な流派としては、伊勢流、白川流、吉田流、がある。 今日では祓具の一部となることが多いが、そのほか、これを注連縄に垂らして神域や祭場などに 用いた場合は、聖域を示す象徴となる。 相撲の横綱は土俵入りの際、紙垂のついた注連縄を化粧まわしの上につける。 (井上順孝) ◎神道事典(國學院大學日本文化研究所編 平成六年刊)より