松本城の鉄砲の数は藩所有のもので文化16 年に927 梃あった。 この様に松本城は鉄砲戦を考慮に入れた備えがなされ た戦略的城郭であった。
堀・土塀
当時の火縄銃は有効射程距離は50~60mで、50m 離れて3cmの板を撃ぬく威力をもっていた。 内堀は迎撃できるぎりぎりのおよそ60m の幅に造られた。
天守のある本丸は総堀・外堀・内堀の3重の堀にかこまれていた。 堀の内側には土塁が築かれ、その上には 銃眼付きの土塀が廻されていた。 本丸は石塁で防御されていた。
土塀は死角をなくすためにジグザグの折塀(おれべい)となっていた。

矢狭間、鉄砲狭間
右が矢狭間、左が鉄砲狭間です。 内側の方が外側より広くなっており狙いやすくなっています。 天守には115 の銃眼が穿たれ、壁は1・2 階は28cm、それ以上の階では20cm 程と銃弾が貫通しないように なっていた。
武者窓

武者窓
内側の格子がスライドして開くようになっています。
防衛ラインとしての城下町
いつも地図の前で道路が狭くジグザグしていて、T字路や行き止まりが多いと説明していますが、それが明快にわかる図が 今まで見つかりませんでしたが、やっと見つけました。
城下町は防備がほどこされた町である。 経済効率を考えれば街路は碁盤の目状が理想である。 「遠見遮断」とか「前 方遮断」という一本の道を屈曲させて設置したり、丁字路、喰い違い、鍵の手等の防衛上の工夫がされている。 また、寺の配置も考慮されている。 寺は城下町のはずれに寺町として配置されている。 松本の場合は城下の東側 にラインを作っている。 寺は町屋より堅固に造られており、敵が侵入してきたとき城兵が城を出て城下末端の寺院で まず敵を迎え討つことができる。 つまり、城の出丸的役割を担っている。 鍵の手 丁字路 喰い違い松本城は以上見 てきたように戦国大名武田氏の城下町から小笠原から水野氏までかかって近世城下町として完成をみた。

死角をなくす
横矢掛かり
石落とし
袴(はかま)腰型(ごしかた)の石落で11ヶ所設置されています。 「石垣をよじ登る敵の上に石を落とす」と説明されてい ますが、石落は石垣を登る敵に火縄銃を下に向けて撃つ銃眼として使用されたと考えられています。
乾小天守

乾小天守は天守の死角をなくすため、そして「埋み門」への備え