傾く松本城

17世紀の初めから傾きはじめ明治の修理で修復した。 というのが定説で我々も一生懸命説明してきた...が
「傾く松本城」に新見解 2015/6/26
松本城の傾きについての新見解、有名な傾いた写真は「レンズで生じる歪みか?」
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傾いていなかった
2015年6月26日付けの市民タイムスの記事 提唱したのは丸山哲治さん 新聞記事を要約すると丸山さんがインターネットオークションで天守からの俯瞰写真2枚(一番下の記事)を発見し購入。 そ の写真の年代を明治26年の写真と推定(天守からの俯瞰写真としては現存最古)。 その2枚の写真の年代を絞り込む過程で市史に関する新見解が出てきた。 中でも明治30年頃、傾く松本城を撮ったとされ る有名な写真(上)について撮影年代は推定より古く、傾きはカメラのレンズで生じるゆがみではないか?
というものです。 この新見解の真偽はこれからの研究に委ねられる訳ですが、非常に興味深いです。
新見解の根拠

新聞の内容を読み解けば、丸山さんは①それぞれに写る旧姓松本中学校校舎の変遷
②天守漆喰の剥落状況を 手がかりに以下のように各写真の年代を絞り込んだ。
1. 傾く松本城の写真 → 明治25年以前 (上の写真)
2. 傾いていない写真→ 明治30年前後 (手元にない) 「日本アルプスの登山と探検」(明治29年発刊)、「松本繁盛記」(明治31年発刊)に掲載 された写真
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明治の大修理(明治36年)
結果
傾いていない②の写真の方が傾いている①の写真よりあたらしい。 そして明治の大修理で 傾きを修正したとしても②は大修理より古いので矛盾する。
同様な構図で写真撮影し同様の写真を再現できた ↓ よって 松本城は傾いていなかった。 (少なくとも写真のようには)
でしょうか?違っていたら指摘してください。
再検討
松本城は傾いていたということが定説になり、思い込んでいたのであまり考えなかったが、 新見解が出てきたことで再度資料を見てみる。 正確な数値等で検証したわけではないので 状況証拠です。
◆ 傾いていおかしくない理由
16本の柱が腐ってなくなっていた
天守が建てられた場所は軟弱地盤で、傾いていた方向とされる南西側が軟弱層が一番厚い

◆ 傾いていなかったと思われる理由
・傾いた写真は不自然(今回改めて考えると)
上の階に行くほど傾きが大きい。
今までは構造上12、34, 56の櫓構造(ブロック)になっており、「あり得るな」と思っていたが、あれだけのずれだとブロックのつなぎ目の箇所にはかなりの変形があったはずだが、「国宝松本城 教 育委員会」→ 昭和の大修理の記録などにもそのような記述が全くない。
・明治の修理の写真
明治40年の修理中の姿(状況証拠)

明治の大修理は明治36年10月に始まり明治37年2月8日に始まった日露戦争のため中断、明治42年 再開している。
開戦から半年後に中断と仮定すると、中断前に作業が行われたのは約10ヶ月程度と想定される。
そこで写真を見ると天守は傾いておらず、5階、6階部分の作業は完了しているように見える。 考察 約10ヶ月で傾きを直して5階、6階部分の修理作業を完了させることは現代の技術を持ってしても無理だ と考える。
・傾きを修正した方法が不明
全く記録がない (考えてみればかなり不自然)
ロープで引き起こした→あり得ない(青木先生談)
傾いた方向と反対側の柱を切って梁を水平に戻した →昭和の大修理の記録にも全く記載がない →施工上難易度が高い →実際の天守の柱に切断したあとがない
関連項目;大修理
個人的に思うこと
傾いている上の写真は確かに不自然で超広角レンズで撮影したような不自然さを感じます。 でもわいわい掲示板で 皆さんが書いてくれましたが、火のないところに煙は立たずと言いますか、地盤状況を見ても微妙に傾いていたことは 考えられます。 でも写真では確認できるほど傾いてはいなかったということでしょうか。
とにかくこの新設に関しては専門家も注目しているようなので、研究が進むでしょう。
丸山哲治さんが発見した古写真
城下一望 明治26年の写真
天守からの俯瞰 現存で最古
海外のインターネットオークションで発見、イギリスにあったそうです。
