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特徴・唯一性


特徴・唯一性

  1. 国宝

  2. 複合連結式天守 ・松本城の天守は大小天守を渡り櫓で繋ぐもので、いわゆる連立(結)式天守の希有(けう)な例であり、名古屋天守の先駆をなすものである。 ・辰巳附櫓・月見櫓を増築しその構成を複雑化し、ことに月見櫓を殿舎(でんしゃ)風造りとしてあるのは姫城西の丸化粧(けしょう)櫓(やぐら)とともに、城郭建中の異彩と見られる。

  3. 家康を監視する豊臣方の城

  4. 望楼型から層塔型への過渡期の形式    関連記事

  5. 天守基礎の特異性 ・軟弱地盤対策 ・16本の支持柱

  6. 五重六階の城の中では最古の城である

  7. 武田氏によって整備された縄張りを継承する平城である。 現存12城中、平城は松本城と弘前城である。日本三大平城は人によってちがうが名古屋城・広島城・福岡城(西股総生氏)や松本城・二条城・広島城などがある。

  8. 市民の手によって保護されてきた天守 関連ページ  市民の手による保護


国宝


国宝に指定される基準は下記の通りですが、どれに該当するかははっきりしないので今度調べてみます。下記の基準はかなりアバウトですが、もちろんいろいろ調査が行われ、お城の場合、現存率というものが大きなウェイトを占めるようです。詳細は?


1930年(昭和5年)

   国の史跡に指定された

1936年(昭和11年) 4月20日

    天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓の5棟が国宝保存法により当時の国宝に指定された。


1952年(昭和27年) 3月29日

   これら5棟が文化財保護法によりあらためて国宝に指定された。


国宝及び重要文化財( 建造物) 指定基準
昭和26年5月10日文化財保護委員会告示第2 号 第1次改正昭和30年5月25日文化財保護委員会告示第29号 第2次改正昭和50年11月20日文部省告示第1 5 3 号 第3次改正平成8年2月9日文部省告示第6 号
重要文化財 建築物、土木構造物及びその他の工作物のうち、次の各号の一に該当し、かつ、各時代又は類型の典型となるもの (1) 意匠的に優秀なもの (2) 技術的に優秀なもの (3) 歴史的価値の高いもの (4) 学術的価値の高いもの (5) 流派的又は地方的特色において顕著なもの 国宝 重要文化財のうち極めて優秀で、かつ、文化史的意義の特に深いもの                                   文化庁ホームページより

なぜ松本にこんな大きな城があるのか?

 松本城の築造は1593ー1594年ですが、その時代と言えば豊臣秀吉が天下を統一した後で、一応群雄割拠の時代は終わっており、こんな松本の田舎にこんな大きなお城が果たして必要なのか? 必要性からだけ見ればたぶん NO!! だと思います。ではなぜこんな大きな城が必要だったのか?

中仙道・甲州街道を固め関東の家康を監視する豊臣方の城として築造された松本城 ①豊臣政権下、徳川を監視する戦略的な城郭としての松本城 豊臣秀吉は1590 年(天正18)小田原の戦いに勝利し天下を掌握すると徳川家康を関東に移した。そのため、小笠原氏は徳川氏に従い松本を去った。秀吉は石川数正を松本に入封させ江戸の家康を監視する五重六階の松本城天守を1593 年(文禄2)から1594 年(文禄3)にかけて築造させた。この時建てられたのは天守・渡櫓・乾小天守の3棟である。石川数正とその子康長はこのほかに総堀を整え、土塁を築き土塀を建て、諸櫓や門楼を造り、城内の館の修造および武家屋敷の建設を行い近世城郭として松本城を整備した。また、鉄砲戦を想定し堀幅を広げ、天守の壁を厚くし、銃眼を穿ち、土塁上の土塀にも2000 余の狭間を作り武備を固めた。 秀吉はライバル家康を監視するために沼田・上田・小諸・松本・高島・甲府に膝下の武将を配置した。松本城はその城の一つであった。 これらの城からは金箔瓦が出土しており秀吉の権威を背景に松本城天守は築城されたと推定される。                                 松本城の歴史的価値より


美しいお城

かつて、AppleサイトでPowerBookのハメコミ画像や、2009年11月のユニクロカレンダーにも採用された美しい松本城ゲストの話すと、みんな納得する。 辰見付櫓、月見櫓の存在が美しい外観を構成している。


しかし天守6階部分は明らかに頭でっかち、下の写真を見てください。

当初六階の壁はもっと内側にあり、高欄を回していたが、変更された。時期タイミングは? 理由は回り縁に雪が積もり漏水や、部材が腐りやすくなるのを防ぐためと言われている。


オレンジ色と赤の線は壁の位置を示しています。明らかに6階部分は外れています。しかし緑色の線は軒先を結んだ線でほぼ直線上に並びます。これがよく見ると頭でっかちだが、全体的なバランスを保っている理由でしょうか。これを見るとやはり6階部分の壁の位置だけが変更されているように思える。



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